龍馬と歩く幕末長崎 亀山社中

長崎では日本初の商社、亀山社中を復元しています。

龍馬の古写真、どこかのお屋敷での会談後に庭で記念に撮ったのではないかと思います、左手は

負傷しているのか右手でかばうようにしています、花でも置いていた台か木製のベンチのような

ものにかなり窮屈に不自然な姿勢で撮られています、後ろの花で季節がわかりそうですが何の花で

しょうか・・・なぜ端っこで・・庭に写ってはいけないものがあるのか?謎はふかまります。


左から2番目が龍馬の子孫の九代目坂本登さん、その右側の女性は勝海舟の子孫の方

でガラス工芸家の高山みな子さん。九代目の謎?なぜに一番右の男性とネクタイがカブるのか・・・

坂本龍馬の子孫の坂本家九代目、坂本登さんが書いた色紙かなりの達筆です。余談ですが坂本

龍馬の子孫の方も自由民権家や画家など多彩な顔ぶれです。

亀山社中の跡の石碑がたち長崎市亀山社中記念館が建っています。

亀山社中記念館内部、お龍さんの月琴や龍馬の刀剣はもちろんレプリカです。


掛け軸は特に何も説明文はありませんでしたが、公文菊僊の絵です、この方は日本画家としてはそ

れほど有名な方ではありませんが、とりわけ坂本龍馬の絵が得意で、昭和初期から龍馬ブームで

同じ図柄の絵を何十枚、何百枚も書いています。いまだにネットオークションに出品されているのを

見かけます。

隠し部屋の階段・・

亀山社中の隠し部屋


実物大のタペストリー、172cmあったと言われ当時では大男の部類です。

龍馬の手紙、内容は日本初の新婚旅行と言われている、鹿児島にお龍さんと行ったときに高千穂

に登ったときの事が書いてある、高千穂は同じルートで私も登った事があります。


片道3時間往復5時間くらいで登れます、私が登ったときはガスが出ていて風景はほとんど見えず

火口を見ながら歩く馬の背は幻想的でした。天の坂鉾は実際に今でもありますが抜こうとしても抜け

るようなものはありません、私は手を触れようとして近づいただけで足場が崩れ、吹き飛ばされまし

た。おりょうさんも登った事になっていますがたいした女性です。


四境戦争の内の小倉口の戦い、龍馬が戦況を書き記しています。関門海峡、四境戦争の図、自

分の乗った船の図(右下)など戦況が描かれている天地は逆で下が下関側、上が門司側、下関

側から見た図です、右端の中段あたりのピーナッツみたいな絵が巌流島です、現在は唐戸市場より

観光船がでていて気軽に渡れます。上部は布刈明神、現在の布刈(めかり)公園、布刈神社で

す、その左は田ノ浦方面です。高杉晋作の船は右上のヲテントと書いてある船、龍馬の船は右下

あたりの私の船・蒸気と書いてある船です。

亀山社中のメンバーが使用したかもしれない?井戸、亀山社中の敷地内にあります。

海援隊や亀山社中をイメージしてブーツを履いて記念写真が撮れるスポット

亀山社中跡近くにある坂本龍馬之像

建立日は、平成元年5月21日、製作者は長崎市在住の彫刻家、山崎和國氏。

周囲には龍馬を写真撮影した上野彦馬の墓や、亀山社中跡など龍馬ゆかりのものが散在してお

り、寺町通り禅林寺、深崇寺の間から亀山社中跡を経て風頭公園に至る坂道は「龍馬通り」と呼

ばれ、長崎市の歴史探訪路となっています。


亀山社中記念館・・・竜馬伝ブームで人気のスポットで行列ができていて入場制限されていました、

亀山社中は薩摩藩の援助のもとに1865年龍馬が中心となり組織されました・・・・この亀山社中

記念館は長崎市より復元されて公開されました。亀山社中の事業は薩摩藩名義で長州へ武器や艦

船の購入をあっせんするなど薩長連合へとつながる大きな役割を果たしました。


こちらは記念館の龍馬の紋付とブーツ


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