龍馬と歩く幕末京都 龍馬を斬った刀

坂本龍馬を襲撃を指示したのは松平容保、指揮したのは京都見廻組佐々木只三郎、斬ったのは桂早之助が最有力とされています。結局のところ真相は闇の中です。

1867年(慶応3年)11月15日、近江屋にて見廻組桂早之助がこの脇差で坂本龍馬を斬ったとされています。室内では有利な小太刀の名人に二階の坂本龍馬・中岡慎太郎を襲撃さた。

桂早之助は西岡是心流で小太刀の名手だったといわれている。1868年正月、鳥羽伏見の戦いで銃撃され戦死しました、行年28歳。


桂早之助所有の刀の拵


桂早之助所有の警棒


桂早之助の刀の鍔


見廻組与頭、佐々木只三郎(享年35)血染めの衣服

戊辰戦争が勃発すると鳥羽・伏見の戦いに幕府軍で参戦するが、樟葉(枚方市付近)で腰に銃弾を受けて重傷を負い、慶応4年(1868年)、和歌山に敗走中、紀三井寺で死去。

見廻組・与頭佐々木只三郎と龍馬襲撃メンバーが暗殺計画を練った場所、松林寺


襲撃メンバー渡辺篤の手記(現代訳)


与頭の佐々木只三郎も一緒に現場に臨み仕事をしました、刀の鞘を忘れて残して帰ったのは世良敏郎と言う人で、学問は少々できても武芸には秀でておらず、刀の鞘を残して帰ると言う失態を犯しました。帰りには普段あまり剣術を学んでいない為に、呼吸も切れて歩くのも出来ないような様子なので、私が世良の腕を肩にかけ、鞘の無い刀を私の袴の中に縦に入れて隠し、世良を保護して帰りました。


河原町四条を出て、四条を千本通りまで、千本を下立売、下立売を智恵光院を北へ入り西側の寺院(松林寺)に帰りました。宵の口の四条通りは大変賑わっていて世良に肩を貸して「よいじゃないか!よいじゃないか!」と大声を上げて通行した為に抜き身の刀を持っている事を通行人に気付かれず都合が良かったです。松林寺に与頭の佐々木様が下宿されているので、松林寺に全員で道

を変えながら帰り集合し、仕事(暗殺)の成功を祝杯をあげて祝い、夜明けにゆっくりと帰宅しました。秘密事項で父以外には誰にも話していません。


坂本龍馬を暗殺した翌日に、新選組局長近藤勇と佐々木様が出会うと、「昨日の夜はお手柄でした」と笑っていました。新選組の浪士が斬ったと言う事実とは違う噂が流れて言葉にできずくやしい思いをしました。(自分達の手柄なのに横取りされた想い)

現在では、佐々木只三郎に龍馬の暗殺を指示したのは松平容保とされています。


円山公園の坂本龍馬・中岡慎太郎像

事件当初は新選組の関与と紀州藩のいろは丸事件の報復を疑い、12月6日に陸奥陽之助らが紀州藩御用人・三浦休太郎を襲撃して、三浦の護衛に当たっていた新選組と斬り合いになっている(天満屋事件)。


慶応4年(1868年)4月に下総国流山で出頭し捕縛された新選組局長・近藤勇は土佐藩士の強い主張によって斬首に処された。また、新選組に所属していた大石鍬次郎は龍馬殺害の疑いで捕縛され拷問の末に自らが龍馬を殺害したと自白するも、後に撤回している。

見廻組にせよ新選組にせよ松平容保の指示であるのは容易に想像できます。容保は鳥羽伏見の戦い中に徳川慶喜と江戸に逃げ帰ります。慶喜と決別し奥羽列藩同盟を巻き込み抗戦しますが敗退します。青森に移封はされたものの死罪は免れ蟄居の後に日光東照宮の宮司となります。


明治3年(1870年)、箱館戦争で降伏し捕虜になった元見廻組の今井信郎が、取り調べ最中に、与頭・佐々木只三郎とその部下6人(今井信郎・渡辺吉太郎・高橋安次郎・桂隼之助・土肥伴蔵・桜井大三郎)が坂本龍馬を殺害したと供述している、但しこの証言は死亡したメンバーだけで存命している襲撃犯は供述していない。その他には渡辺篤(渡辺吉太郎とは別人)の手記があり見廻組の犯行と現代ではほぼ断定されている。今井信郎は実行犯では無く見張り役であったとして禁固されるも釈放されます。後年の新聞記事の取材によると今井本人が龍馬暗殺犯と自白しています。

実行犯で無い近藤勇が斬首された遠因は見廻組の龍馬暗殺とは皮肉な話です。


大正4年(1915年)、元京都見廻組肝煎である渡辺篤は今際の際に「坂本氏を暗殺したのは自分である。生涯隠し続けようと思っていたが、これを打ち明けてこの世を去りたい」と言った。





真田山 心眼寺 真田幸村(信繁)と大助親子の冥福を祈る為に建立されました。

場所は大阪城に近く、かの有名な大坂冬の陣の激戦区、真田丸の跡地の一角です。


見廻組は1864年4月に、幕府の命により旗本からよりすぐりの武芸達者を選んで結成されました。手記を書いたのは渡辺篤と言う元見廻組メンバーで渡辺吉太郎とは別人物です。


1867年11月15日の坂本龍馬暗殺の後、見廻組も1868年1月3日鳥羽伏見の戦い

で惨敗して、京都の橋本において負傷後に戦死、その後心眼寺に埋葬されました。

時代を超えて、豊臣に殉じた真田信繁・大助親子と徳川に殉じた桂早之助・渡辺吉太郎のお

墓が同じ敷地に同居する、なんとも不思議な空間です。


坂本龍馬・中岡慎太郎を襲撃したメンバーで、龍馬ファンから見れば憎い人物ではあります

が、両名の置かれた立場や時代背景を考えるとなんとも言えず、やるせない気持ちになり

ます。


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