龍馬と歩く幕末京都 坂本龍馬と楢崎龍

龍馬とお龍は1864年に運命的な出会いをしました。

お龍さんの銅像は霧島温泉郷方面の塩浸温泉に建てられています


現在室内にある湯殿に浸かったのではなく、川湯に浸かった。写真上部のブロックの囲いあたりらしく、私が訪れた時は工事中だった。

室内にある塩浸温泉内部


龍馬とお龍が散歩した龍馬の散歩道


寺田屋で怪我をした龍馬は薩摩の招きで日本初と言われる新婚旅行と療養で鹿児島を訪れた。禁門の変以来犬猿の仲だった薩摩が長州と手を結ぶための斡旋役だった龍馬は薩摩ではVIP扱いで、短い期間だが幸せな日々を送った。


お龍の実家、楢崎将作邸、お龍の父は侍医をしていて裕福であったが、志士の援助をしていて1858年安政の大獄で捕らえられた、その後1862に病没。


お龍独身時代の寓居跡


坂本龍馬とお龍の結婚式場跡

元冶元年(1864)5月頃出会い8月1日に金蔵寺で内祝言をあげた。


武信稲荷神社、龍馬とお龍の恋の伝説が残る

神社の南には江戸時代、幕府直轄の六角獄舎という牢獄があり幕末、勤王の志士が多数収容されていた。その中に 坂本龍馬の妻おりょうの父である楢崎将作(ならさきしょうさく)が勤王家の医師であったため捕らえられていた。

おりょうは父の身を案じ龍馬と共に何度か訪れるが、当時女性が牢獄へ面会できることもなく龍馬自身も狙われる身であり面会はかなわない。その為、神社の大木の上から様子を探ったという。

その後命を狙われ追われる龍馬は身を隠し二人は離れることとなる。おりょうは龍馬の身を案じ行方を捜していた。そんなおり二人で何度も訪れた武信稲荷神社の榎をふと思い出し訪れた。するとそこには龍馬独特の字で『龍』の字が彫ってあったという。

自分は今も生きている。そして京都にいるのだ。そういう龍馬からの伝言であった。

龍馬が京都にいることを知ったおりょうは二人の共通の知人を訪ね、それにより二人は再び出会えたという。(武信稲荷神社HPより)



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