黒田家の刀剣・一国長吉
黒田長政は父の黒田官兵衛と違い勇猛果敢なイメージがありますが、関ケ原では西軍の諸将を東軍に寝返らせる働きをして家康より筑前名島52万3千石を与えられ福岡藩初代となる。
戦国時代 長吉作 大身鎗 名物 一国長吉(いっこくながよし)
黒田長政が初陣依頼愛用した実使用の鎗です。この鎗の活躍で筑前国の太守になれた事を記念して一国と命名した。平三角造りで大きな樋の中に三鈷剣の彫り物が朱漆に映え塩首には八幡台菩薩と刻まれている。作者の長吉は京都の刀工で彫物を得意としていました。
鎌倉時代後期 国俊作 二字国俊 (にじくにとし) 長政愛用の刀、これも長政が戦場で実使用の刀です。
国俊は京都の刀工で来国俊と三文字に切る者と国俊と二字切る者がいて区別する為に二字国俊と呼ぶ。
国宝 圧切長谷部(へしきりはせべ)
南北朝時代 長谷部国重作 織田信長が黒田孝高に与えた刀、黒田官兵衛は中国に勢力を拡大しようとする信長に味方するよう主の小寺政職に進言した。自ら進んで使者となり岐阜城の織田信長に拝謁し中国攻めの秘策を進言しました。
「圧切」の名前の由来は信長が茶坊主を手打ちにしようとすると膳棚の下にもぐり込んだので膳棚の下へ刀を差し込み圧し切った。
作者の長谷部国重は京都の刀工でこの刀は刀身全体に焼きが散らばる皆焼刃(ひたつらば)
の最高傑作です。
福岡市博物館はこの日「黒田家の刀剣と甲冑展」を開催していました。刀剣女子の話は聞いたことがありますが歴史博物館は以前は女子が集まるような場所ではありませんでした、まるで女性専用車両に間違えて入った時のように女子ばかりぎっしり来館していました。熱気が凄く、係員の人もガラスケースの曇りをとるのに忙しそうでした。
また驚くことに黒田家墓所にいくと、これも若い女子がカメラ片手に熱心に見入っていました。武将のお墓に女子が集まるとは今まで聞いた事ありません。
圧切長谷部の拵え、
国宝 金霰鮫青漆打刀拵(きんあられさめせいしつうちがたなこしらえ)
黒漆塗南蛮鉢歯朶前立兜(くろうるしぬりなんばんばちしだまえたてかぶと)
関ケ原で長政が家康より与えられた兜、家康が長久手の戦いで実使用した物。
関ケ原の合戦前に家康は長政に福島正則の説得を依頼したおりに授けた。
黒漆叩塗帽子型兜
長政が禅の師である春屋宗園の帽子を模して作らせた。実戦では使用されなかった。
朱塗合子形兜(しゅぬりごうすなりかぶと)
黒糸威五枚胴具足・小具足付 三代藩主の黒田光之が黒田官兵衛所用の甲冑を模して作らせた。
と言う事で次回も黒田特集・母里太兵衛の日本号です。
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