黒田家の刀剣・歴代甲冑

歴代甲冑には長政に対するオマージュで一の谷形兜・水牛脇立兜が歴代藩主により作製された。幕末の藩主黒田長溥・黒田長知もその一人である。



11代 黒田 長溥(くろだ ながひろ)所用 銀泥塗一の谷形兜・黒糸威五枚胴具足・小具足付

黒田長政が騎馬武者姿で戦場を駆け巡る姿が絵に残されていますが福島正則と写しを交換した一の谷形兜が印象的で長政の兜と認識されています。

薩摩藩の島津重豪の影響を受け、西洋の学問を好み幕末には公武合体と開国路線で洋式の軍制改革をしました。優秀な藩主ではありましたが、前回記述したように場当たり的な対応で乙丑の獄で勤王派を処刑した後に鳥羽伏見の戦いの結果を見て佐幕派三家老を切腹させ、あわてて新政府軍に加担して賞典禄1万石を得ました。

黒田 長溥所用のピストル

黒田官兵衛が織田信長より拝領した「圧切長谷部」黒田 長溥が幕末の難局を乗り切ろうと普段使いしていたとも伝わっています。新政府軍に加わってからは福岡藩も最期に帳尻を合わせて明治維新において新政府軍として活躍しました。


12代黒田長知所用 黒漆塗桃型水牛脇立兜・紺糸威五枚胴具足・小具足付

初代黒田長政の大水牛脇立兜を模しています。明治元年に養父の黒田長溥の後を受けて12代藩主に就任しました。明治2年には版籍奉還、藩知事に任命されます。明治4年の5月には戦後の財政難にあえぎ太政官札を偽造、贋札事件のため、罷免させられ東京に移住しました。

廃藩置県までもたずに改易相当の処分となりました、藩知事の後任は筑前に感状を贈った有栖川宮熾仁親王が就任しました。

有栖川熾仁親王からの感状、後に黒田長知と入れ替わり知藩事(後に県知事・県令)となる。


聖福寺の黒田家墓所には東京に移住した黒田 長溥と黒田長知の墓はありません。

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