将軍家茂公御上洛図 高輪牛町

徳川家茂(1846-1866)江戸幕府14代征夷大将軍

管理人蔵 河鍋暁斎作 東海道高輪牛ご屋 文久3年(1863年) 


徳川慶喜は最後の将軍として有名ですが、その前には短命に終わった徳川家茂という将軍がいました。かなりの目まぐるしさで13歳で将軍まで昇りつめます。1862年に公武合体の一助として和宮が降嫁されます。


孝明天皇は幕府に攘夷を強く迫り、幕府はついに攘夷実行を説明する為に上洛する事を約束しました。



文久3年、1863年に3000人を率いて江戸をたち家光以来229年ぶりの上洛を果たし、孝明天皇に攘夷を約束しました。(幕府は実行するつもりはない)この上洛では行きは外国船の脅威から陸路をとったが、帰りは孝明天皇がなかなか帰してくれないので、軍艦で威圧行為を行なったうえ海上より蒸気船で逃げ帰った。行きは陸路で22日、帰りは海路を順動丸で3日で無事に帰った。ちなみに長州征伐の軍勢を率いた3度目の上洛では陸路をとり、大阪城にて病死し海路で江戸へ送られました。


東海道御上洛のシリーズは幕府の許可が出ていたのか、歌川派の絵師で162種類発行しています。

幕府は朝廷から信任を受けている事をアピールする為か、身分を問わず人民に見学できるように気を使い、できるだけ質素に行列隊を組んでいます。


表題は高輪牛小屋で、徳川秀忠が死去した後、徳川家光が二元政治から脱却した頃増上寺の安国殿建立などで、今で言う大型重機・大型運搬車が必要になり京都より牛車・牛人持足を集めました。彼らは京都には帰らず、荷物運搬の独占権を得て車町(通称牛町)に定住しました。


将軍宣下の時に徳川家光までは徳川家が上洛し、家光以降は朝廷をも支配下におき、家綱以降幕末まで朝廷側から勅使を送る慣習となりました。また家光は鎖国を実施したり外国人や貿易に様々な規制をし、攘夷のダブルイメージでこの絵のポイントになったのかもしれません。



徳川に関する絵や本は徹底的に規制・弾圧されてた時代ですから、到底浮世絵師が

かってに描いたとは考えられず、幕府の意向で細かい指示を受けながらきびしい検閲

を受け出版されたと思います。


また上洛の後まもなく出版された事も報道性を重視している点で画期的なシリーズです。絵の構図からして行列に先回りしてして実際にスケッチして描いたと思われます。事前に幕府側と描く場所も指定されてたのかもしれません。


絵の内容は徳川恩顧の高輪牛町で正装をした町人が、土下座をしながらも初めて見る将軍様を珍し気に見上げています。左上には親子の犬が異変に気付き家に入ろうとしています。


大名行列なら特に土下座をする必要もなく、行列の邪魔をせず道を避けるだけで良いのですが、御三家・将軍家ともなると土下座が必要となります。


したがって、予め将軍様の行列がこの道を通る触れが出されていて、町人は将軍様が来るのを知っていて正装して緊張しながら待っていた事でしょう。


表題にある牛小屋では、外に出るのを親に禁じられた子供たちが牛を踏み台にして一目見ようと。赤い半纏を着た子がおにいちゃんで弟に順番に見せようとしています。


USJやディズニーランドでパレードを楽しみにしている現代の子供達となんら変わりません。かたわらでは日常とかわらず洗濯している女性や牛を行列の道路に出ないよう引っ張っている男性がいます。牛の世話で行列を見れない、この子達のおとうさん、おかあさんかもしれません。戸口の前に土下座しているのが、ご当主のお年寄りかも知れません。


このように上洛行列は不可なく気分よく通過してもらう為に町全体で打ち合わせをして道路を整備・清掃して当日を迎える一大イベントだったと思います。


沿道での見物の管理人の想い出(聞き流してください・・)


1964年のオリンピックを前に近くの車道で聖火ランナーが走ることになりました。当日はお母さんが私の手を引いて妹はおんぶされて沿道に並びました。東京でオリンピックがあるといっても当時、福岡の田舎では外国の行事のように感じられましたが、小さい子供でも歩いて行ける場所に聖火ランナーが来ると言ったら、町をあげての一大イベントです。


その頃お姉さんは幼稚園児で学校から先生に連れられて行儀よく並んでいました。前列には見物の大人がすでに並んでいて、沿道警備の方から子供が見えるように前列は座ってみるように促されていて、大人しく座って待機していました。


ところが聖火の煙が見えると大人たちはパニックになり我先に立って声援を送りました沿道警備の人達も制御できず、幼稚園児だったお姉さんは大人が前で立ったために聖火ランナーを見ることができず。泣いて帰ったそうです。65歳になるお姉さんはいまだにこの話をし大人は信用できない人生はきびしいと言い人間不信になりました。

ちなみに私は大人のスキマに割って入って走ってくるのを見た記憶があります。











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